10.27.2011

福島メモ3

まず静観、と感じた事を。

9月末、また福島市。

地震で若干被害があった実家に工事が入った為、その手伝い、
福島から某県へ越すことになった友人と会う為、等が目的。

街の様子は特に前回と変わらず、何か活気は感じる。
復興を焦点に、官民双方でプロジェクトが多く立ち上がっているようだ。
福島の方々を対象に、または県外へ向けて、福島PR、媒体の立ち上げ、催しの企画等。
経済は勿論、娯楽も含めた生活基盤を取り戻そうと、世代を超えて復興に尽力されている。

だが、前回も書いたように、それぞれの立場、例えば、原発事故の捉え方、及び政府発表や報道の捉え方、家族構成、職業、不動産の有無、その他諸々が複雑に絡み合った、様々な立場環境の違いで、復興への意識、方向性は違っている。福島の安全を前提とした復興の動きが、住民すべての総意ではないことを知ってもらいたい。

感傷を煽り、純粋に復興に尽力している住民が逆に利用されないようにと願うばかり。

自分の立場として、家族、友人がいる地元、いつかは帰るであろうと思っていたこの地を今後どう捉えていくのか。簡単に認めたくはないが、自分の意志が固まって来た感はあり。それを表立って口に出す、言い切るというのは苦痛です。それは事実と現実とは別に、福島にいる家族、友人知人との関係性も含めた、感傷的な理由が多くを占めている。

感傷ではなく現実的な判断を、というのはみんな百も承知。諸々書きたいが、また次回。

除染について

情報をいろいろ拾ってはいるが、この先が思いやられるようなニュースばかり。
新たなシノギ、とでも勘違いしてるのか。始まりからこんな調子なら、
汚職や利権に新しいカテゴリーが生まれただけ、という状況になりかねない。

頼むからここだけはプロの仕事をしてほしいと願うばかり。
福島に残る人々、残らざる得ない人々。
除いても、どこかに動く、動かすだけで無くなりはしない。
動かしたものをどこに集めるのかですら曖昧。
ですが、現状除染は住民達の生命線のひとつであるのは確実なのだから。

以下、今話すことでは無いかもしれないが、今だから思う事。

地方都市や狭いコミュニティにおいて、人との強い繋がり、連帯感は強みであり、魅力であり、生活していく上である種の安心材料にもなる。同じ土地に代々根を下ろしているという境遇への共感と、お互いの素性を把握しているという安心感も繋がりをより深いものにする。
しかしこの繋がり、連帯感は、悪く作用すれば、出る杭は打たれる、村八分といった言葉があるように、異なる物をハジく大きな作用になることもある。そうなれば当然多数決、それら少数の異を完全に黙殺し、もみ消すことも可能であるだろう。

「こんな物やあんな物が何故ここに?」の疑問を解くなら、
上述した人間関係の方程式にあてはめて考えれば答えが少し見えてくるのでは?
「こんな物やあんな物」は突然現れる訳は無い。上から下へ、人々の繋がりを通じて現れる。
地方の~、とは言ったものの、そんな方程式はそれこそ小学校から経験してませんでしたか?
職場や、大人になった今でもその方程式で答えを出していなかったか、社会は。
「あんな物が起こしたこんな事」は、社会と個人の繋がり方をそれぞれが見直す貴重な機会かも知れない。結局は、人間性、人間関係から全ては現れるのだ。

前回の投稿同様、特に進展の無い現状と個人的葛藤ですが、記録として今回も〆る。

最後に、福島県の提示した復興ビジョン。

福島県ホームページ wwwcms.pref.fukushima.jp/
福島県ホームページ内福島県復興ビジョン リンクPDF

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